サポーター歴10年以上の僕が思うブラウブリッツ秋田の現在地

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ここ2年明治安田生命J2リーグでしぶとく(?)躍進を遂げているチーム、ブラウブリッツ秋田。今回は僕がTDKSC時代から10年以上観続けてきた大好きなブラウブリッツ秋田の軌跡を振り返ろうと思います。

JFL時代(2010〜2013)

ブラウブリッツ秋田がサッカーのアマチュア最高峰日本フットボールリーグ(JFL)に参入したのは2007年。

そして僕が初めてスタジアムで観戦したのもこの年。TDKSC対YKKAP。当時のメインスタジアムはにかほグリーンフィールド。秋田市から向かうとちょっとした遠足気分でした。ホーム3連戦の初戦。スタジアムも盛り上がってました。数人のビジターサポーターが「今日はよろしくお願いします」と挨拶したのに対して秋田側からも大きな拍手起こったのが印象的でした。決して観客数が多いわけではないけどいい雰囲気だなと。試合の方は一進一退の攻防も終盤にセットプレーから失点。これは勝つまで観に来たいなと思いました。

続く3連戦の2戦目に佐川急便SC戦。キャプテン小沢を先発起用などテコ入れを図るも後半中央を破られ失点。僕はせめて1点とるまで観に来たい。思いました。

3連戦のラストは佐川印刷SC。この試合前半待望に瞬間が。成田藤原と繋いだボールヲ2大エースの1人「赤いスパイクのスピードスター」富樫がネットを揺らし先制。僕はこのとき初めてゴールをみた一体感が最高でした。しかし結局この試合は後半2失点で逆転負け。ホーム3連戦3連敗。それでも僕はこのチームが大好きでした。

そんななか次節アウェイの琉球戦はなんと8-0で勝利。思わずホームで見せてくれよと思いました(笑)結局この年は11勝9分け14敗で13位で見せて終了しました。

翌年2008年初めて佐々木監督が就任。エース松田正俊の移籍の影響もありなかなか勝ち点を伸ばせず。特に印象的だったのがホーム流通経済大学先制。大学生相手に面白いようにパスを繋がれ0-1のスコア以上の完敗。ちなみに当時の相手の正ゴールキーパーは後の日本代表林彰洋。当時からキック、スロー、セービングと完成度学園高くスケールの大きな選手だなと思いました。その後は千野をボランチとして起用、FWは富樫を軸に松田、木下起用という形で徐々に戦いが安定。ホーム最終戦の三菱水島FC戦に5-0で勝利するなど10勝11分13敗でシーズンを終えた。ちなみにこの年はロッソ熊本(現ロアッソ熊本)が準優勝でJ2昇格。すでに昇格が決まっていた秋田での一戦では秋田サポーターから「ロアッソ熊本 J2がんばれ」の大合唱が巻き起こったのも感慨深い出来事でした。

続く2009年、富樫、松田、菅原のFW陣に加え池田、松ヶ枝、眞行寺ら個人の攻撃緑地を活かしたサッカーで躍進。シーズン終盤には8連勝を飾るなど過去最高の10位でフィニッシュとなりました。

2009シーズン終了後親会社のTDKか運営から撤退。こうして現在のブラウブリッツ秋田が誕生しました。一般公募で選ばれたブラウブリッツはブラウがドイツ後で青色という意味で県魚カミナリウオが稲妻のごとく泳ぐ様が表現されているそうです。ちなみに次点に挙がった候補がカントーレ秋田だったとかなかったとか。初代監督はTDKSCでコーチを務めた横山博敏。このシーズンでなんといっても前年戻って来たエース松田正俊のゴール量産でしょう。シーズン終盤には後のチームのバンディエラ前山恭平がプレー時間が伸ばしました。個人的には西目カントリークラブで行われたガイナーレ鳥取戦で強風のなか沈めた直接FKの美しさにしびれました。(ウォーミングアップのシュート練習では一本も入らなかったのに笑)結局この年も過去最高更新の8位。松田正俊は得点ランキング2位にランクインしました。一方これまでチーム伸ばしました中心だった池田、高橋らが退団。岩瀬が引退となり寂しさを覚えました。

翌2011年横山体制2年目。小林、浅井、比嘉らJリーグ経験者を補強し迎えたシーズン。この年もエース松田が絶好調。加えて新加入の比嘉も序盤から得点を重ねるなど活躍をみせていきます。しかし、なかなか最終ラインを固定出来ず失点がかさみ14位でフィニッシュ。ちなみに松田は得点王を獲得しています。シーズン終了後これまたチームを長らく支えた千野の引退が発表されました。

2012年シーズン監督を務めたのは横山雄次。シーズン序盤は松田、久保田のFW陣に加えて大卒2年目の三好が台頭。キープ力、決定力に長けたタイプで攻撃の新たな起点として活躍しました。開幕4連勝を飾るも大事な局面で勝ちきれず、最終的には13位でシーズンを終えました。シーズン終了後にはこれまたチームの長く支えてくれた松ヶ枝が退団。横山監督も退任となりました。

2014年新監督に就任したのは与那城ジョージ。実績ある監督だったので自ずと期待は高まります。そして何より2月にはJリーグ準加盟が承認され来季のJリーグ入りがほぼ確実となりました。そんな事情もありチームは地元秋田出身のスター選手熊林、JFLで実績十分の平井、再加入の島川積極補強を敢行。そうして迎えた開幕戦、アウェイMIOびわこ戦は0-3て完敗。一抹の不安を残しホーム開幕の佐川印刷彡を迎えましたという。スタンドで見ているとなんというかウォーミングアップから明るいというかラテンの乗りなんですよね。これが監督のカラーかと。そして試合前岩瀬社長は挨拶で「観てる人が面白いサッカーを魅せる」と述べましたが試合開始後その意味がわかりました。自分たちでパスを回す能動的なサッカー。今でいうポディショナルサッカーですが、これまでこのチーム出来ずここまでパスサッカーを落とし込んだ監督はいませんでした。それはそれはウキウキしました。シーズンを通しては新加入CB初田が安定感ある守備をみせながら高さを活かして4得点。両サイドバックは豊富な運動量でせめれるし守れる。そして松田の相方として定着した前山恭平が6得点、テクニックと献身性、決定力をみせつけました。全体的にはまだチームとして波がありましたがシーズンを8位でした終えました。そして翌年のJ3リーグ加入が正式決定。ちなみに同じ年にグルージャ盛岡も決定しているが申請時期の差から秋田が北東北初のJリーグチームだと秋田県民(私)は誇りに思っています。

J3時代〜J3優勝(2014〜2020)

J3リーグ初年度は与那城体制2年目でスタート。前年、長らくチームの絶対的エースだった松田が引退し不安だったところをレオナルドと三好がカバー。特に三好はボールも収まり自らも決められる頼もしい存在で攻撃は三好ありきともいえました。ただやはり守備は安定せず勝てる試合を取りこぼしたりと勝負弱さが目立ち12チーム中8位。シーズン終了後与那城監督は退任となりました。

2015シーズンは監督に間瀬秀一が就任。ジェフ千葉時代にオシム元日本代表監督の通訳を務めるといっと経歴でこれは興味深いなと思っていました。スタイルとしてはポゼッションは継続しながら連動して人が動く印象のサッカー。攻撃陣は三好、前山に加えて峯、米澤が躍進。特に峯に関しては入団時はいわくつきの選手でしたがピッチでは決定力に優れたハードワーカーでピッチを出るとナイスガイと期待以上呑気活躍をみせてくれました。守備陣もGK松本を中心に粘り強い守備をみせたが勝ちきれない悪癖は変わらずシーズン最終順位は8位でした。

翌年2016年、間瀬体制2年目は間瀬サッカーに合う選手を集めたかったのか熊林、江崎の引退など19名が退団の大刷新。シーズンは大枠のメンバーが固定され安定した戦いぶりで開幕から11試合負けなしでした一時首位に浮上。前山、久富、遊馬、田中らが得点を量産。順位は過去最高の4位。充実のシーズンでしたがシーズン終了後間瀬監督は退任となりました。

次の人選は難しいなと思っていたところ就任したのは杉山弘一。元アルビレックス新潟シンガポールの監督というこれまたやや意表をついた人選。有薗、江口ら実績ある選手を補強してのシーズン。過去数シーズン異なるスタイルのを披露することと成ります。攻守ともにとにかくセカンドボールを回収してのショートカウンター。スリートップの田中、前山、久富はJ3最強クラスといってよく古田や青島も攻撃にアクセントを加えた。ハーフタイムには喫煙所て「秋田は今年こんなにセカンド拾えるんですね」と相手サポーターから話かけられることあったくらいに徹底していました。そして開幕から15戦負けなし。ゴール裏では昨年からの流れもあり「もうそろそろ俺達強いって言っていいんじゃないの」という発言もありましたし僕もそう思っていました。第17節にシーズン初の敗戦を喫して以降10試合で僅か2勝と停滞、第23節終了時には首位から陥落、第24節には3位に下がったものの、第28節から3連勝で盛り返し、終盤まで栃木SC、アスルクラロ沼津と優勝を争い、優勝条件は最終節でガイナーレ鳥取に勝利し、栃木と沼津が直接対決で引き分けるのみという不利な展開でしたがでしたがみごと逆転でJ3初優勝を果たしました。ちなみに鳥取の地で逆転優勝が決まるというのはジンクスになりつつあるようです。秋田がJリーグで初めて優勝した瞬間です、大袈裟てなく涙しました。本当に最高のシーズンでした。ただし、J2ライセンス未交付により、翌シーズンもJ3所属となることは決まっていました。優勝のため選手たちはプレーしてきたのだろうが昇格出来ないことについて思うと今でも胸が痛みます。

2018年J2昇格を目指し杉山体制2年目が始まります。しかし対策された影響もあってか前半戦を6勝3分7敗と負け越し、17チーム中の9位と低迷したことから7月10日付で杉山を解任し、後任に元秋田監督の間瀬秀一が就任することとなりました。これは正直サプライズでした。それでも抜本的な改革にはならず順位は8位。納得できるものではありませんでした。翌年も最終順位は8位と上向かず。結果よりも僕が疑問だったのは中心選手だった田中やや平石をあっさりと放出したことです。事情があったのかもしれませんが前回登板時も含めて間瀬監督は相当には選手を選ぶのかなという印象を受けました。実際サポーターの中にもエースコンより間瀬を選んだという意見も挙がっていました。シーズン終了後間瀬監督は退任となります。2018年には明るいニュースもありました。条件付きながらJ2クラブライセンスが与えられていました。今度こそ昇格への闘いがはじまっていたのです。2020年監督にはそれまで沼津を率いていた吉田謙が就任。吉田監督のサッカーは分かりやすく守備。フィジカルで負けない。その結果今や歴代最高ともいわれるGK田中、DF鈴木、千田、韓、鎌田の守備陣が形成されました。特に田中はJ3最高レベルのキーパーでしたし千田と韓の跳ね返しも圧巻でした。攻撃は齋藤の走力、中村の決定力、茂や沖野、久富のに突破量産をいかんなく発揮。開幕から9連勝。その後も江口のセットプレーあり、井上というラッキーボーイの出現と好循環は続きチームは開幕からのシーズン無敗記録は28まで更新。シーズンぶり2度目のJ3優勝が決定、また3年前はクラブライセンスの壁に阻まれたJ2昇格も決定しました。秋田が歓喜で湧いた瞬間でした。

その後 J2

2021年からJ2昇格したブラウブリッツ秋田。2014年シーズン現在も奮闘を続けていますがここは割愛します。また機会ガチあれば。

今回こんな振り返りをしみて思ったのはチームの歴史と地域の繋がりの深さです。秋田はJリーグの中では比較的新しいチームです。それでもこれだけの歴史がある。これでもほんの一部です。そしてその場面場面でチームに尽くしてくれた選手、スタッフ、サポーターのかおが浮かびます。もはやチームと地域はきってもきれない関係です。これは決して秋田だけではありません。NHKの特集で山形の初老の夫婦が「どんな時もひたむきに頑張るモンテがすき」と、熊本の若い女性は「ロアッソは私達の希望」と。

Jリーグの地域密着の理念についてあらためて考えさせられました。

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