上田昭夫が甦らせる 慶応ラグビー部復活への物語

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1986年1月15日、国立競技場。長いシーズンを締めくくる、ラグビー日本選手権。慶応大学ラグビー部は、社会人王者のトヨタ自動車と対戦した。基本的に学生チームが不良であることは変わらない。毎年選手が入れ替わる学生チームより社会人の方が戦う集団としての完成度は高くなる。

結果は18対13。学生チームとしては10年ぶりに日本一の座に就いた。慶応自身にとっては史上初の快挙である。頂点を目指してチーム作りをしてきて、最高の達成を得たのは言うまでもない。この試合を最後に、2年間という慣例に従って上田は監督の座を去った。

これが、チームの栄光の頂点であり、また、長い低迷への分岐点であった。

名門復活へ、上田昭夫の挑戦の物語である。

栄光からの陥落 ゼロからのスタート

日本選手権を制した翌年、メンバーの半数以上が残っていたにもかかわらず、日本選手権どころか、大学選手権のすら出場出来なかった。対抗戦グループで6位か7位をうろうろするチームに成り下がってしまった。早稲田や明治どころか東大や立教に勝つのが精一杯。私が監督時代に作り上げたつもりでいた「強い慶応」は1シーズンもたずに跡形もなく崩れ去ってしまった。

いちど日本一になったからといって続けて日本選手権に出られるほど甘い世界ではない。

しかし、いったん頂点を極めた以上、その経験が翌年以降に生かされなければウソだ。せめて、日本選手権の常連校になるくらいでなければ、あの優勝はまぐれで片付けられてしまう。

私は母校慶応に人一倍愛着がある。その母校のラグビー部の監督として達成した日本一が単なる過去の栄光になってしまうのは我慢ならない。チームが低迷している以上、私が監督として、本当の意味で「責任」を果たしたとはいえない。やり残した仕事があった。

私は監督として現場復帰した。

「もう一度自分がやるしかない」決心したうえでの現場復帰だった。

私の力だけで日本一になれたとは思っていない。素晴らしい選手に恵まれたし、多くの優秀なスタッフに支えられた。けれども、自分が監督だったから勝てたという自負もある。事実、私がやめた途端に昔のスタイルに戻った慶応は弱くなった。

「上田昭夫に任せなければ慶応は強くならない」と認めさせたかった。

課題は山積みだった。

名も知らないOBが突然グラウンドにやってきて、好き勝手な指導をしていく。慶応は名門ではあるので一家言あるOBも多い。

その為、強化委員会が発足し、OB会の雑音を受け止め、慶応ラグビー部の指針をつくり、安定的な強さを維持する環境作りに努めるようになった。

現実はどうか。チームの指導が順調にいっているにもかかわらず、意図の分からない会合が開かれ、「見守る」はずの強化委員会が現場に介入している。強化委員会が本来の機能を失っていた。

私の前の監督は監督は私とまるっきり違う指導スタイルをとった。私の指導の下、慶応ラグビーのスタイルを築き上げて成果をだした学生がまるっきり違うラグビーをやらされては戸惑って当然だ。

学生達も錯覚していた。

「日本一のチームの一員である」ことを忘れて慢心していた。そのことばかりが頭を支配し、それまでの努力、苦しい練習を忘れてしまってはいい結果などでるはずがない。

OB、指導陣、選手。すべてに低迷する原因があった。ゼロからのスタートである。

落ちるところまで落ちたチームを立て直すのは容易ではない。しかし、一方で私は

「今のようなレベルにあるからこそチャレンジする価値がある」と感じていた。這い上がればいい。

ラグビーの伝統校には伝統のスタイルがある。「横の展開」の早稲田、「縦の突進」の明治。

慶応は戦術に決まりのないチームだった。

早稲田や明治と違って優秀な学生を安定的に確保できるわけではない。もっている素材を磨き上げる必要があった。

そんな慶応がよく使った戦法がハイパントを上げてフォワードがなだれ込む、というものだ。いるメンバーが最大値に力を発揮できる戦法、引き継がれた伝統ではない。

私が前回監督を務めた時は、慶応としてはレベルの高いメンバーに恵まれ、グラウンドをいっぱいに展開する、ラグビースタイルで好成績を収めた。

私は慶応のこの玉虫色のラグビースタイルが好きだ。絶えず挑戦し作り上げていくプロセスにリーダーが目覚めた時、チームはしなやかで強靭に変貌していく。

まずは、素材を磨き上げることが最も重要だった。

「今どきの学生は」と言うのは簡単だがそれではチームは時代に取り残される

正直、なんて勝手なことを言う連中だと思った。

8年ぶりに慶応ラグビー部の監督に就任し、初めて学生達と接した時の印象である。

新4年生とのミーティングでは、「外国人コーチを選んで欲しい」、「戦術は学生が決めたい」といった要望がでた。しかし、最後まで「上田さんはどうやってこのチームを強くしていくつもりですか」という質問はなかった。これはショックだった。彼らの要望も結局、本気でチームを強くしたい願ってのことではなかった。単なるわがままだ。

今思えば、私の方にも意気込むあまり学生の目に図図しく映った面があったのかもしれない。チームを日本一に導いた経験のある監督を前にすれば、はじめから学生は「聞く耳」をもってくれるはずだ、と無意識に思い込んでいた。

監督には絶対服従。良くも悪くも、日本の体育会的伝統である。

今の学生は以前に比べて器用な生き方を身につけている。多くのことを同時にこなしていける。何かを犠牲にしようとは考えない。効率のいいやり方を選ぶ、要するに合理的ななのである。ノリが悪く、冷めているように映る。チームチームをまとめ上げるのが難しい。

しかし、これは単に組織や集団との関わり方が昔とは違ってきただけのことだった。有無を言わせず強制的に団体行動をさせられるのが嫌いなだけ。ラグビーにおいては練習が嫌いなわけではない。

昔の感覚や考え方に目をひそめるだけでは、物事は前に進んでいかない。彼らの考え方に合わせて組織や集団のあり方を修正していくことも考えなければならない。ここで意固地になっていると、その組織は時代の流れから取り残されかねない。

慶応ラグビーは「魂のラグビー」と形容される。エリート集団である早稲田や明治と比べて人材育成面でハンデがある中で猛練習に励み精神力を発揮するラグビー。華やかさの欠片もない無名の集団でも力を合わせればエリート集団を倒れる。その姿に感動するサラリーマンファンは多い。

そのやり方を踏襲しても、今の学生は動かない。

慶応ラグビーの全てを否定するつもりはない。スポーツには精神力が必要な場面も当然ある。ただ、精神力の鍛え方や意味合いは時代によって変わる。

サラリーマンの価値観や生き方も昔とは変わってきている。いつまでも「魂」だ「根性」だと言ってる場合ではない。サラリーマンを感動させるラグビーからの脱却が必要だった。

時代に合わせた「合理性」と普遍的な「伝統」の兼ね合い

慶応ラグビーのファンはラグビーの質ではなく、極めて情緒的なファンだ。これからはラグビーで感動してもらいたい、注目されるチームになりたい、観ている人も楽しく面白いゲーム運びをしたい。

ただ勝つだけではダメだ。アットホームで明るい、全国のラガーマンが慶応ラグビー部でラグビーをやりたいと思っうチームを作りたい。

体育会イメージを根底から変革が必要だった。

学生が入りたくなるチーム作りの一つがルールの見直しだ。

服装は自由とし、学生を拘束するルールも極力撤廃した。

雰囲気は指導者のみでは作れない。最低限のルールは決めるが、それ以外は学生に委ねた。

ある年はグラウンドのライン引きやボール管理を学年関係なくタテ割りにした。またある年は、消灯

時、門限12時に決めた。学年達は緩みすぎた雰囲気を自分たちで敏感に察してルールを決めていった。こういったところも慶応は玉虫色である。

文武両道も大切なテーマだ。今の時代、ラグビーだけやっていればいいわけではない。幅広い視野、人間的な懐の深さが必要になっている。

慶応には、スポーツ推薦はない。「ラグビーだけ」の学生ははじめからいない。

4年生で司法試験を目指す学生は練習でどんなに疲れていても全員が就寝後に食堂で勉強していた。自分自身を律する厳しさは、練習や試合にも通じている。自らをコントロールできる個の集まりは強い。

「ラグビーだけ」「ラグビーしかやることのない」学生はたとえ理不尽であっても練習に文句なく取り組む。例えばスクラムだ。フォワード出身のコーチはスクラム強化を優先する傾向にある。「スクラムは組めば組むほど強くなる」そう指導しやたらと時間を費やす。

こういった練習で一番得られるのは「安心感」「達成感」だ。この安心感や達成感に多くの時間を費やす程の大きな意味があるとは思えない

「真の強いチーム」を作りあげることとは

慶応はオーストラリアのプロコーチを招いて指導してもらったことがある。さすが、プロだ。練習に無駄がない。分かりやすい単語を選んで注意を促し、一緒に悩みアドバイスを与える。練習はオーストラリア代表「ワラビーズ」も行っている内容である。世界の潮流を見極めた上での本物の指導は学生をやる気にさせた。

一つ一つ効率的にこなさなければ、いくら時間があっても足りない。そして、どうせやるなら、練習は面白い方がいいに決まっている。どんなスキルを向上させるのか目的が明白で、その向上が肌で実感でき、時間的無駄がない練習は学生にとって面白い。体力的なキツさはやり方次第でいかようにもなる。それが指導者の役目だ。慶応は猛練習で強くなったという昔のイメージや先入観が残っているが、今、慶応ほど合理的で面白い練習をしているチームは他にないと自負している。

本質的に体育会系を脱却しようとしたら、ラグビー部だけに目を向いていてはダメだ。

2つ以上のスポーツで高いレベルで技術をもっている選手がいる。そういう学生を1つのクラブに縛り付けるのは良くない。

実際にスキー部の学生をラグビー部に勧誘したことがある。彼は高校時代にラグビーげ北海道選抜に選ばれるほど優秀な選手だった。夏はラグビー、冬はスキーをやればいい。結局本人がやる気にならなかったがこういった可能性をもつ学生は今後も出てくるはずだ。体育会全体でルールを作っておくべきだろう。慶応のように長い歴史をもつ大学では各部が長い「伝統」を持っているせいでなかなかオープンな雰囲気になりにくい。横の繋がりがない。新しいシステムが必要だ。

経営面でも取り組むべきことはある。

慶応体育会のスポンサーを探してユニフォームにつけるのはどうか。しかし、それは上手くいかない。「慶応は伝統があるから」「前例がないから」だ。

合理的発想を「伝統」の一言ではねつけてしまう、こうした旧弊を打破したい。

「伝統」を片っ端から破り捨てようとしているわけでは決してない。先人たちが守ってきた伝統の中には、我々が大事に継承していかなければならないものもある。

例えば、ジャージーのカラーリングだ。慶応は黒と黄色の縦縞。クラブのアイデンティティーである。そんなものは何色でもいいじゃないかと合理主義者は考えるかもしれないが、カラーリングを変えては慶応は慶応でなくなる。

ラグビーというスポーツ自体のもつ伝統も重んじなければならない。

ラグビーは「品」や「各」を重んじるスポーツ。試合では激しい肉弾戦、だからこそ余計にそれ以外の部分では礼儀やマナーを大切にしなくてはならない。慶応は大学ラグビーのルーツ校だ。そこにプライドをもって欲しい。

日常的な礼儀も同じである。合理主義とは最もかけ離れているが、礼儀を知らない者にラグビーをやる資格はない。

「伝統」と「合理性」の兼ね合い考える上で考えなければならないのが精神力をいかにして鍛えるかだ。

技術を鍛えなければ本当の強いチームにはならない。そのために猛練習を否定し合理的で効率のいい練習に取り組んだ。

ただ、技術さえ向上すれば精神力が必要ないかといえば当然ノーだ。精神力と技術、両方が必要だが優先順位の問題だ。根性さえあればどんな相手でも圧倒できるなんてことはない。相手を圧倒するのは技術であり、パワーやスピードといった身体能力だ。

精神力は技術や身体能力をギリギリの局面で発揮するために必要になる。「負けるかもしれない」という弱さを抱えていては勝てない。

この精神力は経験に比例するように思う。練習で身に付けるものではない。勝利の積み重ねで自然とチームに備わっていく。慶応が精神力重視のラグビーをしていた頃、私も監督として試合前のロッカールームで激烈なことをしていた。それがチームを強くしたかといえばそんなことはなかった。むしろその後の低迷を招いた。技術の上に自信をもてるようになれば精神力は自然に育つ。

1998年シーズン、念願の大学選手権に進出した。学生達は大きな自信と充実感を得た。チーム全体が「勝つ喜び」を味わった。勝つためにはそれまでの対戦相手との試合結果や過程が自信となる。敗北に慣れた体質を改善するのに:5年かかった。慶応は貪欲の勝利を追い求める集団に変わった。

1999年、大学選手権の余韻が残る慶応は、いきなり危機感を抱かざるをえない状況に追い込まれた。

7人制ラグビーでの惨敗だ。

社会人と大学生が争う国内トーナメントに参加したが、3チームによる予選グループで全敗。3位グループのトーナメントでも一回戦で敗れた。一回も勝てなかったのは慶応と京都産業大学のみ。その京産大も質の高さを魅せていた。

新入生を迎え入れ、新たにスタートを切った時期である。昨シーズンの好成績により招待試合が増え、練習時間が少なくなっていたのを感じているところだった。

危機管理とは、危機感をもつことから始まる。「これはヤバい」感じるのは早ければ早いほどいい。結果をどう受け止めるかでチームは大きく左右される。幸い選手達は正しい危機感を持ってくれた。私も厳しいことを言ったがチームは正しい方向で練習を重ねていった。

その後、練習試合では明治に僅差ながらも、トライ数で上回る勝利、京産大には49‐0で圧勝。シャットアウトで勝てたのは大きい。

監督というのは勝ったら勝ったで不安になる。順調にチームが仕上るに越したことはないのに妙に落ち着かない。

京産大とのゲーム、49点差では怒る気にならない気持ちもあるが、練習試合は結果を出すためのものではない。手放しで褒めるわけにはいかない。僅差の方が精神力を鍛えられる面もある。

春先の練習試合は個人の能力をチェックするのが目的だ。勝っても負けても反省点は山ほどある。

今季の目標は日本一だ。どんな結果もプロセスに過ぎない。100点差で勝っても3点差で勝って同じように満足感を得て同じように反省点を見つけるのが強いチームだ。勢いだけで勝ってる時など思わぬ取りこぼしをする。

慶応は強豪校に勝つとニュースになる。早稲田や明治は負けるとニュースになるチームだ。早明に勝とうがいちいち大騒ぎされなくなって初めて「王者の復活」が完成したといえる。

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