明治大学ラグビー部は1929年から1996年まで67年間という長きににわたって監督を務めた北島忠治によって独特な文化が築かれてきました。。
代表的なのが「前へ」という部訓。
1990年代前半、大学ラグビー界で圧倒的な強さを誇ったチーム。
御大を失ったチームに低迷期が訪れます。1999年から2016年までに実に18シーズン連続で決勝進出を逃してしまうことになります。準決勝に残ったのもわずかに4回。強豪とはいえない成績でした。
そんなチームは2018年、監督の田中澄憲に率いられ実に18年ぶりの優勝を果たしました。
田中はいかに明治に優勝をもたらしたのか、今回は明治大学ラグビー部復活までの話です。
田中は2017年、前任監督の、丹波のもとヘッドコーチの職に就いていた。
2018年になって監督を引き継いだとき、前年の準優勝メンバーが多く残っていた。
前任の丹波が5年間、寮に住み込んで学生達と寝食をともにしながら生活態度から鍛えなおした「改革」の延長線上に2018年度の優勝があるー田中はそう言う。
丹波は2013年、明治大学ラグビー部監督に就任することが決まった。折しも、丹波は札幌に家を買ったばかり。竣工したばかりの家に住んだのは2ヶ月だけだった。
監督就任にともない東京に住むことを考えた時、合宿所に住むことにした。それが5年間に及んだ監督生活の間ずっと続くことになる。
丹波は1996年、北島監督が亡くなった後、高校生へのリクルート活動を全国的かつ組織的に網羅するする「セレクションシステム」つくりに奔走した。
羽幌高校時代に、北海道遠征に来ていた北島監督の目に留まり、明治大学ラグビー部に誘われたことが活動の原点だった。
丹波自身は90年代の黄金期に在籍していたから、2年生と4年生で大学選手権優勝を経験していた。
しかし、18シーズン連続ファイナリストを逃していた00年代には往年の「明治の威光」は薄れていた。そんな時代に「明治で・・」と誘うのである。苦労は絶えなかった。
その分、高校生を誘った以上、「明治でラグビーをやってよかった」と思って卒業してもらいたいと思い続けた。
そんな丹波が監督として寮に住み込んで目にしたのは、紫紺のジャージーが廊下に放置された信じられない光景であり、線の細い選手たちだった。
学生達の態度が、明治大学ラグビー部の原点から外れている、と思った。
丹波の指導は生活の細部にまで及ぶ。
日本代表に帯同していた管理栄養士に食生活の改善を任せ、指導してもらった。
練習時間を早朝にして学生達がきちんと授業を受けられるように働きかけた。
「学校へ通え、学問をしっかりやれ」というのは、北島の教えでもあった。生活の基盤をしっかりさせた上で、日々のプライオリティをラグビーにおけ。色んな人に教えられたことを吸収しながら、明治のラグビーはこうあるべきということを学べ。そういうところから、心から感謝する気持ちやチームを裏切ってはいけないという意識が芽生える。
北島のトレードマークだったタバコも根絶した。禁煙した学生は食事量が増え、どんどん体が大きくなる。全部員が完全にタバコを吸わなくなるまで4年かかった。
規律が緩んだ寮生活を立て直し、学生達が自らを律することができるように指導していった。
ラグビーの面も原点がおろそかにされていた。
びっくりするくらい、バックスがボールを落とす。基本的なスキルがなっていなかった。ポリシーもない、センスだけでラグビーをしていた。ボールのキャッチから教えた。
反発する学生もいたが、ぬるい世界へ流れていこうとする学生を試合で使ったりメンバーから外したりしながら基本を叩き込んだ。
このままではダメだ、と思う学生が少しずつ増えていった。
寮での生活や態度が変わるとプレーも如実に変化する。
こうして、丹波は4年かけて明治の原点、土台を整えた。
その上で、監督を引き継ぐことを前提として田中をヘッドコーチとして招いた。
明治大学ラグビー部が北島の後の監督人事を巡り大混乱に陥っていたなか、キャプテンを務めたのが田中だった。OB会によって話が進められた新監督候補よされる人物と会うことになる。気が進まないなか会ったがその人物は田中に会うなり「えーっと、名前何だっけ」と言った。
田中は「自分たちがしっかりした考えを持たなければ、やりたいとラグビーが出来なくなるという危機感」を持ってOB会と話し合い、最終的に監督を置かず、自分たちが名前を挙げた4名のOBをコーチに据えた。田中自身がシーズンを通した練習計画を立て、指導し、公式戦に出るメンバーを選んだ。
クラブの存続そのものが危ぶまれるような逆境のなか北島が重んじてきた「自主性」と「キャプテンシー」を発揮しチームを大学選手権決勝まで導いた。
「監督・田中澄憲」の原点である。
明治は翌年大学選手権で準優勝に終わって以降、決勝の舞台に返り咲けなかった。
大学ラグビー界は大きな転換期を迎えていた。
ライバル校たちは、早稲田がサントリーサンゴリアスで活躍した清宮克幸が指揮を執り、慶応はエディー・ジョーンズにコーチングを学んだ林雅人が指導してそれぞれ優勝の栄冠を掴んだ。関東学院は春口廣、帝京は岩出雅之と長くチームを育ててきた指導者のもと黄金期を築いたが、それを支えたのは、海外で名を上げたコーチたちが指揮するトップリーグで経験を積んだOBたちだった。
サントリーでエディー・ジョーンズの影響を受けた田中に丹波は監督を託した。
丹波が作った土台の上に田中がもたらそうとしたもの、それは「ウィニング・カルチャー」だ。
日常的にどういう態度でラグビーに取り組み、どういう問題意識を持って日々の練習に向き合えば最終的に勝利を掴むことができるのかーそうした細かい日常での過ごし方や振る舞いによって築かれる文化。
フィットネスの練習で選手たちが決められたラインの手前で平気で折り返していた。キツイ練習の後、膝に手をついていた。
そういうボディランゲージを田中は許さない。
そういう規律が大事だということを選手たちが次第に理解し始めた。
規律を守り、勝つためにプログラムされたハードワークに自ら取り組めるようになって初めて文化が形成される。そのための手段として、練習の細かいユニットの動きはビデオで撮影し、試合形式の練習はドローンを飛ばして俯瞰で撮影した。何人かはGPSを装着している。
スマートフォンのアプリで掃除や整理整頓など、日々の行動を学生たち自ら振り返る機会を与えた。
勝利という目標に向かってクラブを構成するメンバーが一人ひとり自らの役割を考えて自覚的に行動する。こうした文化が定着すれば、簡単に負けないチームが出来上がる。
監督2シーズン目の春、1月に「日本一」となった主力選手は多く残っている。彼らは昨シーズン、迷い悩みながらも最後に勝ったことで自分たちが1年間積み上げてきたトレーニングが間違っていなかったという確信を掴んでいる。練習に対する理解が深まり一つひとつのメニューが実際に試合のどのような場面に役立つのかを具体的にイメージできる。「良いプレー」「悪いプレー」をプレーの結果とは無関係に判断できる。練習中から「そこはもっとこうしたほうがいい」「今のパスのタイミングが少し早かった」と具体的な話ができる。修正力や応用力が身についている。こういう状態のチームはなかなか負けない。
春季大会は全勝。春シーズンは22勝2敗。Aチームは無敗だった。
6月2日の帝京戦は35-17で快勝だった。
しかし、田中が口にしたのは「全然だめ」
試合を終えた選手達はジャージー姿のまま、車座になって話し込んでいた。
「今日の収穫は、勝って喜んでいる選手がいないことですね。彼らも自分たちが思った通りのラグビーが出来なかったという思いがあるのでしょう。シーズンのもっと厳しいプレッシャーがかかるゲームに向けて細部を詰めていかなければならない」
喜ぶ前にこの日の課題を見つめている。誰も浮かれず騒がない。
8月、快進撃を続けていたチームが慶応に完敗した。
スコアは17-49。ほとんど見せ場をつくれなかった。
慶応はお家芸の低く鋭いタックルで明治のアタックを止め続ける。それまでは相手の防御が先に我慢できなくなって明治に突破を許したが、この日は接点で厳しいタックルにあってほとんど有効な前進を果たせなかった。慶応に連続してしっかり止められると我慢できずにボールを蹴ってしまう。この春初めての"弱気なラグビー”だった。強く見えた明治は強みを消されたとき、弱かった。
「春は確かに、結果は順調でしたが、学生達がちょっと上手くやろうとし過ぎている部分を感じていました。ラグビーは慶応のようにもっと本質的な"戦う”部分が大切になってくる。ラグビーに大切なものを慶応に教えてもらいました」
10日後。筑波との開幕戦。
試合開始は明治のキックオフ。
山沢が蹴りこんだボールを取って攻め込もうとした筑波に左プロップ笹川の強烈なタックルが炸裂。マイボールラインアウトを得る。このラインアウトから3つフェイズを重ねて山村が抜け出す。内側をサポートした雲山がトライに仕上げた。
20分、キックの蹴り合いの中でボールを落とし、筑波ボールのスクラムになる。明治は防御の中で反則を犯しゴール前に攻め込まれる。筑波はこのチャンスを活かす。スクラムからキャプテン杉山が動きフルバック松永がトライに結びつけた。26分には杉山が追加トライ。
明治は押し気味にゲームを進めていたが、スコアは一転5-12。リードを追う展開になった。
30分に雲山のこの日2本目のトライで追いついた直後、ビッグプレーが飛び出す。
キャプテン武井が長い距離を走ってキックを追走しボールを捕球した松永のキックをチャージ。このチャンスをトライにつなげた。
26-12でハーフタイムを迎える。
後半、坂のトライでリードを広げた明治だったが、そこから2トライを奪われ追い上げられる。春とは違う、公式戦に照準を合わせてくるライバルの底力だった。
33-26。7点差まで追い上げられた時、明治の円陣から出たのは「圧倒」「フィジカル・ファイト」という言葉だった。もう一度自分たちの強みを出し切ろうという意思統一。
そのあとは、山沢が個人技でトライを奪うとさらに2トライを追加。
最終スコアは59-33.かなり危ない場面もあったが明治は第一関門を勝利で通過した。
キャプテン武井が振り返る。
「慶応戦を経て、痛い部分から逃げずにやろうという覚悟を決めて試合に臨むことができました。勝ち切れたことはよかったですが、相手に主導権を握られる場面があったり、明治として隙をみせてしまうところがあったのでこれから課題を一つひとつ修正してレベルアップして次の試合に臨みたい。自分たちのミスから自陣に攻め込まれてトライまで持っていかれる場面がありましたが、そこでパニックにならずにしっかりコミュニケーションをとって修正出来たところは評価できます。トライを取られて主導権を握られたところはこれから修正していきたいですね」
明治は初黒星となった慶応戦をきちんと「いいレッスン」にしてハードルを一つクリアした。
11月10日。明治にとってシーズンに入って初めての大一番となる慶応戦。
8月に快調に無敗で進んできたところを鼻をへし折られた因縁の相手との一戦を控えた木曜日、グラウンドでは選手達がフォワード、バックスに分かれて慶応対策に取り組んでいた。
バックスは慶応が多用してくるであろうハイパント対策。
フォワードはBチームが仮想慶応となって相手ボールラインアウトへの対策を入念に行った。この練習の肝はBチームの質と真剣さにある。彼らは知恵を絞って慶応がやってきそうなオプションを考え繰り出してくれた。
Bチームが明治大学ラグビー部の質の高さを示していた。
明治は立ち上がりから積極的に攻めた。
慶応が蹴り返したボールを捕ると待ち構える防御にフォワードの選手達が果敢に走りこんでいく。
前に出たところで右へボールを動かしてウィング山崎が突破してチャンスを作った。慶応がたまらず反則。ペナルティキックのチャンスを得た。最初のアタックで前に出ることに成功した。
ここで、スタンドオフの山沢にボールを託し、ペナルティーゴールを狙う。
山沢のキック力からすれば問題ない位置だったが、蹴られたボールは右にそれて外れた。
再開後、フルバック雲山が蹴り返しのボールをキックミス。慶応ボールのラインアウトになる。
立ち上がり、ミスが2つ続いた。
その後もしばらくゲームをコントロールできない。反則を立て続けに取られ、ペナルティーゴールを決められた。リスタートのキックオフを蹴りこんだところでも反則。ハーフウェイライン付近の慶応ボールラインアウトでモールを組まれてフッカー原田に大きく突破された。
ここで明治は踏ん張った。
攻め込む慶応に対してキャプテン武井とロック箸本が前に出るタックルで相手を倒す。密集にフランカー石井が頭から体を差し込みボールをもぎ取った。ボールを左に展開して大きく前進。悪い流れを断ち切り一気にチャンスを呼び込んだ。
明治の攻勢は続く。
ゴール前5mでマイボールラインアウトという絶好のチャンスをつくる。モールは組めずボールを動かす。箸本が突進してラック。武井
が続いた。キャプテン武井は体を捻り、スクラムハーフ飯沼にボールをみせた。飯沼のパスに合わせてプロップの安がスタートを切る。山沢が右に膨らんでボールを受ける。センターの射場が山沢に近寄る。パスを受けた射場はそのまま防御の裏に抜け出した。コーチから与えられた準備プレーをヒントにした応用だった。
明治は完全に息を吹き返した。
モールも強力だった。一気に15m以上押した。
後半にはフォワードがトライを重ねた。
40-3。文句のつけようのない完勝だった。
「強い慶応に前半から受け身にならずに戦えたことが今日の勝因。細かい部分ではまだ課題もあるが、プレッシャーのかかる試合を乗り越え、また一つ学生たちが成長したと思う。ここからは、毎試合プレッシャーと自分たちとの戦いになりますが、学生たちが最後まで成長できるよう頑張りたい。まずは、しっかり準備して強い帝京にチャレンジします」
クライマックスで問われるのは成長した学生の「真価」だ。
進化が到達する真価はどのようなものか。明治の挑戦は続く。
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