【早稲田ラグビー最強のプロセス】

スポーツ

2020年、ラグビー大学選手権を制した早稲田大学。

大学選手権で優勝した時にのみ歌うことが許される第二部歌「荒ぶる」が11年ぶりに国立競技場に響き渡った感慨深さは今でも鮮明に思い出される大学ラグビーファンも多いと思います。

さて、今回紹介するのは低迷していた早稲田大学部を立て直し11年ぶりの日本一奪還を果たした相良南海夫監督の著者「早稲田ラグビー最強のプロセス」です。

相良監督は混迷していたチームをいかにして立て直したのか。

間違った方向に進んでいたチームと学生

前任の山下大吾に率いられた早稲田ラグビー部は結果が伴わなかった。傍から見てその要因は「スタンダードの欠如」だと感じていた。ディフェンスは淡泊で粘り強さがない、イーブンボールへの反応が悪い、ボールキャリーへの反応が遅い。これらは早稲田に代々脈々と受け継がれてきたスタンダードのはずだった。

この間、連覇を続けていた帝京は一言で言うと真面目なチームだ。ブレイクダウンへ行くスピード、ボールそのものへの反応、ボールキャリーへのサポートの数、仕留める技術。全てが素晴らしい。サイズが大きく才能がある人材が勤勉に働くチームだった。そこには早稲田に本来あるべき泥臭さがあった。

ラグビーは日進月歩。私には最新式は教えられない。ただ、ラグビーの「普遍的なもの」は教えられる。

100周年というシンボリックな年に、相良のような往年のラグビーファンしか知らないような地味な存在に監督として声がかかった意味はそこにある。

前任の山下監督は様々な良いことをチームに残してくれている。

怪我を予防しながら、筋力トレーニングを中心に選手の特定の競技に対する能力を高めるS&Cにフォーカスし専門のコーチを呼んできた。食事も改善された。栄養士を入れてバランスやカロリーが計算された食事が提供されるようになった。質、量とも良くなったと聞く。

リクルートにも力を入れ、自己、指定校などの推薦制度をフルに活用し将来性豊かな学生を勧誘し招き入れている。こうした地道な下地作りが後の早稲田の力となった。

ただ、山下のチーム作りには悪い点があったのも事実だ。

まず、監督権限で最初に変えたのは公式戦のジャージーだ。伝統の黒×エンジの段柄に戻した。

プロのデザイナーに頼んで作ってもらったようだが新しいとか古いとかではなく、ジャージーとはチームの象徴であり、守っていかないといけないもの。OBや関係者、ファンも含めたみんなのもの。私物化して勝手に変えてはならない。

そして何より、「チームが間違った方向に進んでいる」と聞いていたが実際にチームが荒れ始めていた。

勝つことに注力するあまり、選手が技量によって分けられ、チーム間の交流が全くない。早稲田としてのまとまりがない。トップチームとは部員を代表してピッチにたっているはずなのにそこに目が向いていない。

100周年という特別な年に、優勝を目指す上での戦略として仕方ない面もある。

しかし、他の部員がノーチャンスというのは早稲田がこれまで100年積み上げてきた空気感とは違う。ここでラグビーをやってよかった。私の知っている早稲田はそこを大事にしてきた。

こういう雰囲気を知る古い男の出番である。なにせ地味な存在。プレッシャーはない。

就任間もない頃、イングランド遠征でいまの学生の気質が垣間見えた。

ロンドンで早稲田のOBの集まりである稲門会がディナーを用意してくれた。ありがたい夕食だったが学生達は揚げ物を食べなかった。遠く離れた異国の地で早稲田の先輩が用意してくれた献立である。頂くのは礼儀だ。揚げ物の摂取をチーム、個人が禁じているとしても、その時だけは禁を解き翌日からまた食べなければよい。お酒もまたしかり。20歳を越え、生理的に合わないというのではないというのであれば個人の判断で飲んだらいい。アルコールのおかげでその人との距離がグッと縮まったりもする。それが本来アスリートに必要な自己節制だ。

今の学生はある意味徹底しているようにみえるがそれ以上に他人の目を気にしているように感じた。

食べちゃっていいのか、飲んじゃっていいのか、言われたこと以外からの発展がない。全てにおいて管理されている感がある。

早稲田ラグビー部は歴史的に部員の自主性を大事にしてきた。自分たちで考えて行動する選手「ファースト」この自主性こそが生命線である。

指導陣は自分が全て正しいと思ってはいけない。私も含めてコーチみんなで全てのグレードの練習を見ながら答えを我々が与えず「君たちはどうしたいのか」を問うことが大事だ。

委員会へ指導陣の権限の一部を譲渡した。委員会を中心に部の方向性を決めていく。

その際、キャプテンの佐藤に注文をつけた。

「委員会は4年生のみ。寮生以外も入れなくてはいけない。実力は不問」

大学において強いチームの「主体性」を発揮するのは4年生、チームの根幹だ。

2018年4月から早稲田の監督として上井草のグラウンドに立った。

練習げ一番はじめに取り組んだのがこれまで語り継がれてきた「早稲田スタンダード」の徹底である。

①キツイ時に膝に手をついて顔を下に向けない。相手に弱さを見せない

②ゴールラインを全力で切る。フィットネスで全力でゴールを切っているか。

③トライを取るまでサポートをし続ける。「トライだ」と思ってもトライになる瞬間までサポートを緩めない。サポートを緩めたばかりにトライを取れなかった、ターンオーバーをされた場面はないか。

④相手に抜かれても最後まで諦めずにバッキングアップをする。最悪、トライまでもっていかれてもできるだけグラウンドの端にグラウンディングさせ、コンバージョンの難易度を少しでも上げる。相手に易々とポール下にトライを許していないか。

⑤相手、自分たちのミスによるイーブンボールの働きかけで絶対に負けない。相手に「ミスは許されない」という無言のプレッシャーをかける。早稲田のミスにはつけこめないということを相手に感じさせる。自分の前で相手がボールを落とした時に「ノックオン」とセルフジャッジして漫然と眺めてないか。

当たり前に映るかもしれないが、この当たり前を早稲田の歴史の中で諸先輩方が大切に積み上げてきた。これこそが普遍的な早稲田スタンダードである。個人の能力に関係ない、心がけ一つで誰もができることだし、勝つためには誰もがやらなければならないことである。

具体的な練習では伝統的なポジション練習通称「ポジ練」を復活させた。

全体練習が終わった後、ポジションごとに集まって自分の課題に取り組む。自主的な居残り練習だ。

フランカーならキックをチャージする。スクラムハーフならパス。希望をいえばい時間位やって欲しい。その時間の積み重ねが最後に必ず効いてくる。学生は皆、「赤黒が着たい」「試合に出たい」という思いがある。ポジ練はその思いを具現化する一つの方法だ。S&Cによって運動量や強度が制限される中でポジ練の時間を確保することは難しいかもしれないが、たまには「もうやめておけ」と言われるまで練習することがあってもいい。

二義的なものではあるが、ポジ練によって、4年生から1年生までの縦の繋がりができる。同じポジションのライバル同士が、アドバイスを与えたり、課題を一緒に考え、切磋琢磨するベースには優勝というチームの絶対的な目標がある。仮に自分が試合に出られなくても、全力を出し切って敗れた相手なら心の底から応援できる。

「早稲田スタンダード」や「ポジ練」のように先人たちが100年かかって積み上げてきたものを守るのが「継承」である。そこに時代に応じた新たなものを加えて行くのが「創造」だ。

「継承」と「創造」、早稲田にとってはその両方が必要だと思った。

最近の流行ラグビーについてはコーチ陣の方が詳しいので任せた。幸い、最先端のラグビーを知るOB達が指導に来てくれたし相良も学ばせてもらった。彼らには悪いがいいところをさせてもらった。まさにオール早稲田だ。

相良が教えられるのは普遍的なラグビー、「継承」だ。

「全ては上井草にあり」日々突き詰めて練習している上井草、全てはここから創り出される。

一年目のスローガンを「Moving」と定め、本格的に指揮を取り始めた大学春季大会、前年成績で格下の日本体育大学に22-32で敗れる。

試合後相良は珍しく声を荒げた。格下相手に負けたからではない。チャレンジ精神のない後ろ向きの姿勢に腹が立った。選手達はおっかなびっくりプレーしていた。見るからに自信がなさそうだった。そして、「Moving」と掲げておきながら動きまくらない。我々は挑戦者だ。そんなことをしていたら日本一には到底なれない。

そうして迎えた天理大との招待試合。

ここでいまのチームの立ち位置をまざまざとみせつけられる。14-59と完敗した。天理はU20日本代表に5人を派遣するなど8人落ちのメンバーでやっての大差での負け。ショックは大きい。後半にはスクラムを真っ直ぐ押せず認定トライを取られた。チームとして屈辱だった。

試合後、ロッカールームで選手達に言った。

「スタンダードを上げないと大学選手権ベスト4以上にはいけない」

それくらい、両チームの標準には差があった。メンバーの顔ぶれを見た場合、こちらが劣っているわけではない。ところが、チームにおけるスタンダードに大きな差があった。天理は勝つ文化が出来上がっていた。この差を埋めていかないとトップチームには追いつけない。

早稲田はまだ、取り組みが甘かった。高校時代の肩書きがなくても鍛え方によって学年は強くも弱くもなる、そんなことも考えさせられた。

天理はディフェンスが前に出てプレッシャーをかけ続け、組織的に動いていた。相良の理想に近い形だった。小が大に勝つのが早稲田ラグビーのスタイル、まず前に出るのが「継承」の意味からも当然だった。

ラグビーでは実力が伯仲していればいるほど、いかに辛抱できるかが重要になってくる。点を与えないことが相手に重圧を与えることになる。

ディフェンス練習で前に出ることを徹底して反復した。

一週間ごの明治との試合。5-29で敗れる。

この試合は手ごたえを感じられた。もっと大差がつくと思っていたが辛抱できた。

春は4勝5敗。天理、明治との試合で確実に成長を遂げている。

春からディフェンスを軸にチーム作りをやってきた。

菅平での夏合宿。合宿前、選手達には「勝ち負けよりもディフェンスで自信を掴んだといえる合宿にしよう」と声をかけた。1勝2敗。大差での負けはない。ディフェンスはほぼ達成に近かった。

9月9日、対抗戦が開幕。開幕から4戦全勝。チームに望む主体性が根付き始めていた。

そうして迎えた帝京大戦。帝京はやはり強かった。

いきなり、4本のトライを獲られた。ディフェンス主体のチームがこれでは勝てない。全体的に受けてしまっていた。

「勝利への執念の差」があったのかもしれない。9連覇を成し遂げたチームとその間勝てなかったチーム。そのマインドの差。チームとしての本当の力はまだついていなかった。

「負けは仕方ない。この差を埋めていかないと。選手権でもう一回やらないといけないかもしれないから」

帝京戦でやられたディフェンスを20日間で立て直し、戦いに臨む気持ちを再確認し臨んだ慶応戦。

21-14で勝利した。

2日後には「創部100周年記念式典」が予定されていた。負ければおめでたい集まりに水を差す状況下の中で7点差で凌いでくれた。慶応にかんしてはラグビーのスタイルがどうこういうよりも個人的に絶対に負けてはいけない相手だと思っている。早稲田と慶応は永遠のライバルだ。

早慶戦後、中8日空いて早明戦となった。早稲田にとって対抗戦の最終戦、この試合の乗り越え方で続く大学選手権の入り方が決まる。そんな大事な試合を31-27で勝てた。早明戦は我々早稲田の人間にとって、基本的にはほかの試合とは違う別物の一戦である。歴史的に名勝負を繰り広げてきている、この一年、やってきたことを出し尽くす最高の舞台なのである。

対抗戦は6勝1敗。帝京と並んで両校優勝。8年ぶりと聞いてそんなに勝てていなかったのかと思った。

大学選手権、8強で慶応との一か月ぶりの再戦。97分40秒からの逆転勝利を飾った。

逆転トライの佐々木は前回の対戦ではリザーブでこの日はスタメン。そんな彼が大仕事をやってのけたのは嬉しかった。

準決勝進出は5年ぶり。秩父宮で対戦するのは明治になった。

明治には勝てなかった。

27-31。対抗戦では勝ち大学選手権では負けた。スコアは真逆だった。私の監督1年目は終わった。

前半13-17とリードを許した早稲田は後半10分ころから攻めに攻めたフェイズは40。時間にすれば約6分間。その間ミスなくやれたのは凄いとの未確認もあるがトライに結びつかなかった。ボールを拾った明治がカウンターアタックに出てきたところで反則を犯し、スクラムからトライを奪われた。

4点差に追いついた後のラストプレーとなるキックオフを確保。自陣からのアタックを始めた。フェイズを16重ね敵陣に攻め込んだが明治を崩しきれない。ターンオーバーされてしまった。継続はできても攻め手がなかった。40というフェイズを反則無しで凌ぎ、早稲田のミスに乗じてカウンターアタックを仕掛け、最終的にトライに繋げた明治とは自力の差があった。

私の初年度は明治に負けてシーズンを終えたが、年越しを経験出来たことは大きな財産になった。総括すると、よくここまできたと思う。あと一歩まできた部分はあると思う。山下時代からフィジカルを鍛えブレイクダウンを強化してきた事や、リクルートの成果があってこその大学選手権4強入りだ。

齋藤直人を新キャプテンに据え、2019年シーズン、相良の就任2年目のシーズンが始まった。新スローガンは「For One」学生達が考えた。

プレーの細かいキーワードは「勝ちポジ」と「トツ」

「勝ちポジ」は言葉自体は私が入る前からあった。勝てるポジション。体を前傾させ目線を上げる前に出る準備。この姿勢を作りタックルに強く入る一連の動作。思えば天理はそういうところが出来ていた。姿勢を早く作りタックルに早く入る「準備」が大切という認識だ。

「トツ」は倒れてもすぐに立って動き続けること。「リアクション」と「ハードワーク」を足したような形だ。このワードは2代前の監督の後藤が「意識させるキーワードはないだろうか」と探して、使ったものである。

一年目に取り組んだディフェンスは形になってきた。バックスにはトライを獲れる選手がいた。

フォワードの強化をテーマに掲げた。まずは、ボールを獲って来ないと話にならない。

その中で特に注力したのがスクラムだ。ラインアウトとともにセットプレーと呼ばれ、プレーが始まる起点となるが、その部分を制することが出来れば勝利は近づく。

鍛える上で大切にしたのは早稲田のバイブルとも言える「低さ」。加えて8人のまとまり。週に1~2回だったスクラム練習を3~4回に増やした。スクラムのしんどさは理解しているつもりだ。フォワードの連中には発破をかけた。

「今年のバックスは凄い。スクラムが安定してくれれば何とかなる。スクラムが安定しないと勝てない。しんどいけど練習を重ねないとな。最後は『フォワードのおかげで勝てた』と言ってやれ」

夏合宿。帝京戦、早速スクラムが形になってきた。しかし、東海大には歯が立たず。相手によって課題は残った。対抗戦の開幕

成蹊大に大勝して迎えた最初の山場、帝京戦、ロスタイムに齋藤の逆転トライで勝利した。帝京に勝ったのは9年ぶりだった。土壇場で勝ち切るのが早稲田、その雰囲気が出てきた。

トライの獲られ方も悪くなかった。ミスで一発でもっていかれたりインターセプトだった。フォワードで力負けしたわけではない。

全勝で優勝がかかった早明戦を迎える。7-36。完敗だった。

ある程度戦えると思っていたが、完全に明治の圧を受けてしまった。ディフェンスは前に出れなかった。明治はタレントが揃っていた。そのタレントが仕事をするベースの部分がしっかりしていた。

ショックはそれほどなかった。

ディフェンスなど、自分たちがやらなければならないことをやらずして負けた。これは修正がきくものだと思っていた。先発メンバーもベストではなかった。対抗戦は6勝1敗で2位。選手達に声をかけた。

「自分達の立ち位置が分かってよかったじゃないか。この差を埋めるのか、埋めないのかどうするんだ」

齋藤は悔し泣きをしていた。

映像で振り返ると早明戦の負けは「準備が出来ていない」ことが大きな要因だった。

ボーっと立っている選手が多い、「勝ちポジ」が取れていない。こちらから仕掛けるディフェンスが出来ず相手のアタックの連続になった。

「勝ちポジ」はいいキーワードだ。上手い下手関係なく心がけ次第で誰にでもできる。

仕切り直し、決起会の意味合いを込めてフォワード会を開いた。選手権を獲るにはフォワードに勝ってもらわなければならない。フォワードに勝ってもらうために企画したが学生達の笑顔を見てやってよかったと思った。

フォワードだけでなくチーム全体の一体感が増してきたのもこの時期だった。

学生達が意見を言い合い最良を探す姿勢がなければチームは健全に成長しない。

委員を含むリーダー、4年生が集まり話し合いがもたれた。相良は参加しなかった。

「腹を割って話をするように。まいいっかはよくない」

明治に大敗したことで、選手同士が腹を割って話をするようになった。今まで1だったのが10とは言わないが5位は言えるようになった。学生同士の距離は縮まる。彼らは初めて本当の意味で仲間になれたような気がしている。

選手権が始まる前、選手達に「攻めるマインドを持とう」と言った。

ディフェンス、ディフェンスでは頂点には立てない。次はアタックが必要だ。開幕からキック主体できたがそろそろ変えてもいい頃合いだった。学生達からも同じような意見が出てくる。早稲田は外側にいいランナーがいる。エッヂまでボールを回せば彼らならトライに変える力がある。

大学選手権準々決勝、日大に57-14で快勝する。走力のあるバックスが相手の脅威になる。。新たな強みをみせた。

準決勝は前年から手本にしてきた天理。52-14。」8トライを奪っての完勝だった。

いい準備ができた。セットプレーが良かった。夏、暑いなかスクラム強化に特化し組み続けた成果がでた。2年間の成長を実感する。

決勝。早明決戦。初の国立競技場。舞台は整った。

早稲田は対抗戦の借りを返すことが優勝になる。決勝進出は6年ぶりだった。早明による頂上対決は実に23年ぶり。今の学生が生まれる前である。

ロッカールームで最後の檄を飛ばした。

「俺たちはどんな試合でも、自分のやってきたことにフォーカスしてやり切ろうと言って試合に臨んできた。でも、それをやり切れなかった1ヶ月前の早明戦。今日は自分たちのやってきたこと、早稲田クォリティーをやり切ろう。フォワード、セットでボールを取って近場でバトルして来い。バックスはタックルして、フォワードが取ったボールを仕留めて来い。攻めて、攻めて、攻めていこう。全員で闘え」

早稲田のキックオフで試合が始まった。

前半9分、先制する。

左中間30mのペナルティーゴールを成功させる。

ここでペナルティーゴールを狙うかトライを狙うかは難しいところだ。基本的には選手に任せている。結果的にこの3点が効いた。

12分にはフランカーの相良昌彦が縦に入りポイント。すぐに展開してNO8の丸尾がインゴールに飛び込んだ。2フェイズでトライに仕上げた。昨年の選手権では40フェイズを重ねながら、トライラインを越えられなかった。その反省から、セットプレーから、少ないフェイズで得点できる形を模索していた。それがはまった。ウィングの桑山をラインに入れ、左への意識をつけさせておいて、センターの中野は逆に走る。ボールは丸尾に繋がった。明治は反応出来なかった。

26分にはラインアウトを起点に、センター長田がボールをもらう前に内に切れ込み、明治のディフェンスの間を抜く。動き出しの段階でのアングルチェンジ。守備者2人をかわして40mを走りきる。ボールをもらうまえに動き、相手を攪乱することこそ、相良が現役だった頃の「早稲田スタンダード」の一つだった。

前半は4トライを奪い31-0と大差をつけた。齋藤はゴールを全て決めてくれた。ハンドリングエラーはほとんどない。反則は0。こんな前半はもう一度やってくれと言われても出来ない。自分たちの力を100%出せた。

後半、3連続を含む5トライを許した。

29分で4トライと獲られる時間が早いのは気になったがバタバタした印象はなかった。

38-28に迫られ、残り10分を迎えた。

早稲田ボールのスクラム。伝統のダイレクトフッキングから、丸尾、桑山とボールが渡り、ダメ押しのトライを挙げる。

早明決戦は45-35で早稲田が制した。

何も出来なかった対抗戦の完敗から40日、結果を真逆にすることができた。

役目は果たした。

みんなの前で荒ぶるを合唱できたことは何よりだった。

この2年間で早稲田としてのクォリティーは戻りつつある。「トツ」、バッキングアップ、サポート。

昔あった文化の再構築が出来ている。

日本一は奪還した。

早稲田は優勝を続けられるチームでなければならない。

そのために今以上の文化を育て、プレーのクォリティーを上げていかないといけない。

早稲田の挑戦はこれからだ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました