ブレイキングダウン5に突如として現れた男バン仲村。赤いスーツに杖で登場するやいなや瓜田純士との過去の因縁を語り対戦を希望。その佇まいに加え「純士久しぶり」「いい質問するね~」「あんたでもいいよ」などのワードで圧倒的なインパクト残し大きな話題となった。
そしてストーリーはブレイキングダウンCEO(当時)のYUGOとの対戦を経て瓜田純士との清算マッチへと続く。YUGO氏に勝利後の涙のインタビュー、瓜田氏との日本中を巻き込んだ大人の喧嘩で魅せた激闘は多くの人々の心に感動を与えるものでした。そして今や登録者100万人超えの人気YouTube「令和の虎」の司会までこなす人気っぷり。
かくいう僕もそんなバン仲村氏の姿に心を揺さぶられた一人。それはきっとかれが僕にないものをもっている気がしたから。そして彼には彼には言葉がっかりあるから。そんな仲村氏のことをもっと深堀りしようということで、読んでみました「人生はバズったもん勝ち」バン仲村氏の自叙伝です。
ひょっとしたら人生を激変させるかもしれないバン仲村氏の人生をご紹介します。
バン仲村の因縁の始まり
瓜田純士と初めに交わした言葉は覚えていない。しかし、あったその日からその瞬間から波長があったのは確かだ。親友になるのも時間はかからなかった。
「光、助けて、くれないか?」そういって山梨まで助けを求めてやってきたときも事情を深く聞かなかった。
純士はトラブルメーカーだった。昼夜問わず酒を飲んでは暴れ、それを俺が仲裁した。
ただ、それを差し引いてもメチャクチャに仲がいいのも事実だった。
そんな、ある日瓜田純士の裏切りが起こった。
「まんまと騙されやがったな光のバカが」俺に対する暴言である。
俺は純士をボコボコにし、東京へ送り返した。それから3か月後、純士は俺のことをブログで虚言交じりで誹謗中傷し始めた。ほどなく、警察が来た。暴行・恐喝・器物損壊の罪で瓜田純士から被害届をだされていた。
警察は紳士だった。一方的な圧がなく主張もきちんと聞いてくれた。
「仲村、復讐なんて考えるなよ。馬鹿を相手にして馬鹿をみるのは自分なんだ。仕事や家族を考えろ。どっちが大事なんだ、お前なら分かるだろ」
こうしておれは逮捕から20日を待たず釈放された。
何度も公言しているが純士に対する恨みはもはや一切ない。欠片ほども憎んでいないしそれどころか当時以上の親しみを感じている。聞きたいことも伝えたいことも山ほどある。
恨みはない。が、モヤモヤはある。
苦手分野との闘争を決意しろ
幼少期の話をしたい。両親は農業を営んでおり貧しい家庭だった。そんな中、比較的お金がかからないという理由で始めたサッカーではその才能をいかんなく発揮し始める。高校へはサッカーの実力で推薦入学。そしてプロの契約候補生となる。当時は文字通りチームの王様であり傲慢な面もあった。
しかし結局プロの道に進むことは叶わなかった。理由は女性関係におぼれてしまったから。これには相当な後悔が残った。
夢破れた仲村少年が選んだ道、それは受験勉強だった。理由は1番苦手だったから。嫌いなものに向き合うことで違う景色が見えるはずという願望が込められていた。
そして1日10時間以上の勉強を課した1年を経て山梨学院大学入学を果たすことになる。
サッカーでは全力を全うしきれず”逃走”してしまった。その後悔が痛烈に残った。だからこそ苦手分野との”闘争”を決意した。そしてその”闘争”のなかで嫌なことでも続ければ習慣化すること、習慣化すれば楽しむ余裕が生まれることを学んでいった。
こうして迷ったら難しいほうを選ぶというスタイルが身についた。やったやつにしか見えない景色が必ずあるということが大学受験を通して学べた一番の教訓だった。
周りの人間を光らせるために光輝き続ける人間になれ
大学に進学した矢先、父親が急逝した。前述の通り実家は農家だ。金銭的な理由もありこうして葡萄農家として従事することになる。この農作業、人生史上一番過酷だった。農家の仕事に比べればどんな仕事も格闘技も屁みたいなもんと。そんな状況でも労働し、勉強し遊び倒す。
大学時代にはひょんなことからテコンドーで日本代表を目指すことになる。部員を集め、練習場所を確保し、メニューを決め、隙間時間も自主トレを怠らず試合に出場する。そんなルーティンが人生に加わった。
大学生活はヤクザとの抗争や学生同士の喧嘩など総じてハチャメチャな部分も多かった。
しかし自分が間違いないという確信得られば自らに正義が宿り望んだ形じゃない結果でも必ず自分の武器として残る。問題は本気になれるかどうかだ。
大学院進学後は空気を創る力を育んだ。そしてそれはリアムな世界を生きたことによるものだ。空気を創るため生の声を聴き分けられるようになるには生身の人間に会うしかない。
経営者としてのバン仲村
大学職員を経たのち真にワクワクするものを求めて経営者としての道へと入った。最初にスタートさせたのは日焼けサロン。朝の10時から夜中の2時まで、人は雇わず自分一人で全て切り回した。オープンから数年は一人で経営格闘を続けた。その後夜の仕事の経営を仕掛け経済的な意味での成功を収めた。人に借りを作るのは一番怖いことだ。自分で開拓したほうが急がば回れで早いし見についたついた時に深い。だから負けるはずがなかった。そんな中唯一負けた相手、それが国税局だ。
そして、世の中にはお金以外の価値観もあることに気づけた。お金は墓場まで持っていけない。お金以上に人の笑顔が本気で嬉しい、ありがとうの代わりにお金はもらっているのだという考え方。自然な感情の変化だった。
ただ一度もお金を掴んだことのない人間がお金に価値がないというのは負け犬の戯言に過ぎない。価値観の主義主張は実績と経験の裏付けが必要だ。
過去の清算とこれからのバン仲村
良いことは実行したほうが良い。だが良いことをたくさんした人間より後悔の数が少ない人間のほうが満足度は高い。
謝るべき人に謝るのを忘れちゃって人だってきっといる。その人と街中ですれ違って思い出したときに、目を背けるよりも笑顔で「あっ、おはよう」言えるようになりたいのだ。後悔を消していく作業とはきっとそういうことのはずだ。過去の後悔は具体的な行動で減らしていくしかないのだ。
俺の残りの人生は、過去に出会った謝るべき相手に、一人でも多く謝ってから終わりにしたい
俺の残りの人生は、現在関係のある仲間に最大限の感謝を伝えてから終わりにしたいダウンの枠内
俺の残りの人生は、これから未来に出会う全ての人間に、感謝だけされながら終わりにしたい
そのためにも、ブレイキングダウンの枠内やその周辺程度では、とても満足なんかしていられないのだ。
最後に俺が生きていくうえでの指針として最も大事にしている言葉を記しておく。
「考えが変われば、意識が変わる
意識が変われば、行動が変わる
行動が変われば、習慣が変わる
習慣が変わってくると、関わる人間が変わってくる
関わる人間が変わってくると、人生が変わってくる
人生が変わると、運命が変わる
運命が変われば、宿命が変えられる」
バン仲村からの学び
いかがだったでしょうか。
最後に僕なりの感想を。
僕がバン仲村に惹かれた理由、それはやはり僕にないものをたくさんもっているからだ。
やり抜く力”闘争力”、他者を受け入れられる男としての幅、場の空気を創る力。そんな深みのある人生観は幼少期から今に至るまでの様々な経験とそこを生き抜くための緻密な計算から形成されていました。そしてそれを様々な形で体現している。
もちろん、僕は彼の人生をなぞることは不可能だしその必要はないと思っている。
でも、彼の生き方に触れたことで自分の中にほんの少し考え方の変化が生まれたような気がする。
この考え方の変化が行動を変えやがて宿命まで変えることになるのか、それは今後の自分次第。
自分の人生に期待と楽しみが持てたような気がする。
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