「古舘伊知郎のトーキングブルース やっかいな生き物」にいってきた感想

 古舘伊知郎のトーキングブルースに行ってきました。古舘伊知郎が2時間ただひたすらにしゃべる、それによって作り出された超大作。その内容と感想を書いていきます。

会場は恵比寿ガーデンホール。初めて来ました。ちょっと場違いなところに来てしまった気がしてちょっときが引けます。(小生こういうおしゃれな所にはあまり縁がありません)

それはさておき、入場の待機列に並び会場入り。もうこの時点でワクワクが止まりません。

冒頭

登場すると第一声、マイクを通さず「今日は来てくれてありがとう」。そして8月に行った無観客オンラインライブを引き合いに出し、ライブはお客さんが無観客ライブって言い方は静かなマスク会食と同じくらいおかしいといきなり古舘節炸裂。そして「何から話そうか、やっぱり渡部かな」と不倫騒動の記者会見に触れます。渡部はおどおどしすぎ、思い切って自分の”癖”を治したいくらい言えばよかったんじゃないかと。そして渡部と好対照にかっこいい人物としてみのもんたを挙げる。先日、パーキンソン病であることを公表したみの氏。公表前に料亭で病気のことを聞いていた古舘は慕っていた大先輩の潮時に涙。みの氏は告白を終えるとすぐさま、「じゃ、芸者よぼうか」といいその場は大盛り上がりだったエピソードを披露。そしてみの氏の女性問題に対し、週刊誌等で名前が挙がった女性たちがみの氏との関係について口にしなかったのはみの氏の入れ知恵であると推察。そして、「好かれてると思うんだけどねまだ」などと自分がやられ役になって丸く収めるそんなやり方がかっこいいと。

数字の物語の話

ここから話は人間は物語のなかを生きているという話を始めます。まずは数字の物語。0歳と100歳の平均寿命は50歳だけども50歳まで生きた人はいない。今日の東京都の新型コロナウイルス感染者数は70人ですと聞くと少なくてよかったとほっとするけれどもし自分が感染者の一人だったらよかったでは済まされない。数字の物語と人の本質には溝がある。

人種差別問題とアメリカ大統領選挙物語

続けて、人間の物語について自分を遠くに置いて客観視し遠くの物語に美しく怒るという傾向があるという話。黒人差別問題に対して大阪なおみが「人種差別が悪いと多くの人が言うけれど反人種差別主義者だと言い切らない」と発言したことにを例に出し結局遠くの物語に対しては眉をひそめるだけだと。遠くの話としてアメリカ大統領選挙の話。まず日本人がアメリカ大統領選挙にあれだけ関心があったのは東京オリンピックが中止になったからだと推察。日本人のナショナリズム、勇気を与えてくれてありがとうという物語が失われた穴埋めになったのではないかという独特な主張。また、トランプが新型コロナにかかったのはフェイクニュースだとこれまた大胆な意見。結論、アメリカ大統領選挙から学んだことは日本人はアメリカについて知らないし日本人のアメリカ物語なんてアメリカには関係ない。

菅総理の物語

アメリカ大統領選挙から今度は日本の政治の話。菅総理の経歴が叩き上げと称されるのも物語だと指摘。秋田の雪深い街に生まれうんぬんかんぬんあって総理大臣になったってただ順風満帆なだけじゃないかと。

美味しいものという物語

皆さん、美味しいって何ですか?と問いかけ。前日、たらふく寿司を食べた翌日、友人に寿司を食いに行こうと誘われ断ろうと思ったが食べログ4.8の店だと聞いた途端行くと返事をする。みんなで楽しく食事をし満足して店を出ても食べログ2.0だと知るとがっかりする。寒空の下小一時間並ぶラーメン屋は店に入った瞬間食べる前からおいしい。大好きで通ってる店でも弁当で食べるとそこまでの感動はない。おいしいなんてそんなもんじゃないかと。会席料理も農家の○○さんが作った野菜もひつまぶしも全部物語だと。

物語と悲しみとブルース

そして、ヒューマニズムの物語やここでは言えない物語の話を経て今回の核心に入ります。

人間が物語を生きるなかで物語と人間の本当の想いはぶつかりきしみ揺れている。そこ悲しみが宿っている。それを俺はブルースと定義している。人間はほとんどが物語を生きている。我々は国家という物語を生きているが戦争に負けても国家は泣かない。泣くのは国民。国家という物語のために死んでいく兵士の悲しみはあっても国家は悲しいとは言わない。学校も企業も同じだよね。だから人間が物語を優先させるが故にどうしても本当の想いが沈む。そこに悲しみが現れると思っている。

講談で「愛の不時着」

そんな悲しいも含めた物語を披露したい。日本には落語より古い伝統芸能で講談がある。講談とは人間の物語を紡ぐもの。だからお楽しみコーナーとして人生で初めて講談を披露したい。講談やっていいかなと言ったところで釈台登場。神田伯山の張扇を片手に稽古を付けてもらった講談を披露。ネタは「中村仲蔵」とみせかけてオリジナルの「愛の不時着」

内容は割愛しますがこれが本当に凄かった。圧巻のステージでした(言葉にならなくてすみません)講談を観たこともなければ愛の不時着もタイトルしか知らなっかった私。講談で言い回しが独特なのにも関わらず、世界観と感情が目の前に写しだされてすべてが府に落ちる感じ。ラストは本当に感動。これでドラマは見なくてもいいと思えるくらい物語を味わえました。

クライマックス

講談を終え時間も時間だからと話し出す。今日は一貫して人間の物語について考察してきたけれど物語の過剰包装を解くことは大事だと思う。手前の物語に酔いしれることで難を逃れることを我々は知っているから。夏は涼しい肌着を着て冬は保温性に優れたガウンを着る、海にマイクロプラスチックごみが流れ出る、食物連鎖の中でそれを魚が食べその魚を人間が食べる。物語を剥いでいくと人間はユニクロを着てユニクロを食べているってことだろ、良い悪いはべつにして。もう一つ、物語を剥ぐでいうと血圧とコレステロール。こういった薬は世界的な超巨大市場。血圧なんか130超えたからって急に怖がる必要なんかないし、飲んでも結構だけども物語だってことは見破っておいたほうがいい。こういうことを言ってる俺だけどちょっとでも長生きしたいからしっかり飲んでるんだよ、サプリメント。色んなものを飲んでるわけ、飲みすぎってくらい。要するにおれは健康な自分を遠くにおいて医療のこととかに美しく怒ってみせたいわけ。みんなだって同じじゃないの?ここに来てるってことは俺と似てるところがあるはずだから。みんな気を付けて帰ってね。今日は聞いてくれてどうもありがとう。

感想

正直古舘さんが話されたことすべてを理解し納得できた訳ではありません。でもそれは感情の揺れ動きのようなものを語られているからのような気がします。だから、ものすごく難しい説明もありましたが何となく理解できたような感じになりました。それから彼の天才的な言葉のセンスには脱帽です。(こうして記事を書いていて自分の表現の陳腐さ文才のなさを身にしみて感じます)そして何より、一言一言、一瞬一瞬が心の奥底に訴えかけてくる心が震えた2時間でした。なかなか伝わらないかもしれませんが貴重なたいけんでした。

おまけ

会場で販売されていた古舘プロジェクトのロゴ入りマスク。これを着用していれば新型コロナウイルスに感染しないとか。

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